女性活躍という言葉でひとくくりにする違和感

土曜日に、Woomaxさんの公開セミナー「組織のジレンマを乗り越える」に参加しました。ジャーナリストの治部れんげさんの講演「女性活躍のジレンマを乗り越える」では、とても考えさせられました。

 

数十人の参加者の8割が女性、全員の方と接したわけではありませんが、たぶん両立の制度がしっかり整った企業で働く方々でした。

治部さんのお話も、そういった方に向けたもので、制度を整えると、女性への過度の配慮からくるキャリアへの阻害や、ただ『普通に働きたいだけ」の女性にとって、活躍という言葉から来る違和感を抱くというモヤモヤ。

私の隣に座った方も、現在時短で働いているが、フルタイムにしたいと思っている。しかし現実には難しいというジレンマを話してくださいました。

ここに参加している女性達は、働くこと、自分を見つめることにも前向きで、女性活躍推進という言葉は、そういう姿を基本に作られていると感じます。しかしながら、こういう方々にとっても、女性活躍という言葉には違和感があるのです。そもそもなぜ活躍する必要があるのか?普通に働きたいだけなのに・・・と。

一方、数日前、中小企業の経営者の方が、雇う女性達の働くことへの意欲の無さを嘆いていました。

活躍してもらいやすいように在宅ワークの仕組みも作り、配慮をしても、自分の都合を優先する人ばかり。

子どもが大きくなったから、もう少し働く時間延ばせるでしょうと言っても、無理ですと言う。夏休みはマルっと休みたいと言ってくる。女性は雇いたくないと思ってしまうと言っている経営者は女性なのです。

みんな自分と同じように、どんどん働きたいと思っているわけじゃないんだとつくづく思いますとおっしゃっていました。

 

活躍という言葉の呪縛、違和感が人それぞれ違い、どうすりゃいいんだと思ってしまいます。

もちろん、どちらがいいということではないし、企業の大小の問題でもなく、人には色んな考え方があり、価値観があるということ。それを一括りに女性活躍という言葉で進めようとすることに無理があると治部さんの話を聴きながら感じました。

 

治部さんが言われた言葉で印象に残ったのは、「世界はジェンダー平等が必要という認識でギャップを無くそうと動いているが、日本は平等でないということすら認識されていないことが問題」と言う言葉です。

 

ジェンダー平等ではないということに気づいている方々、今回のようなセミナーに参加されている方々は、皆さんジレンマを自ら語ることができて、こういう方々は悩みはあるのだろうけれども、何とかなると勝手ながら思います。情報をつかみ取り、解決していこうという力があるからです。。

しかし、私は、働くことへの意欲が無いと見える(本人もそう思っている)人々がそのままでいいのか、周りの環境や、思いこまされているだけかもしれないということをあきらめたくないのです。

 

東京大学入学式での上野先生のスピーチの「ここにいる人は恵まれていると感じてほしい」という言葉に込められていることとして、

・小さい頃から、女の子は学力の高い大学になど行く必要はない

・勉強ができる女はモテないよ

などといった、女性はこの程度で良いといった刷り込みはかなり蔓延しています。

親や配偶者もそういった考えに影響されているかもしれません。

こういう刷り込みが当たり前であった方々は、そもそも、今回のようなセミナーには参加しません。存在に気づきさえしないのです。

でも、そういう人が気づく機会すらないのは残念です。

聞いた上で自分はこっちを選択するとしたらいいのですから。

 

そういう理由で、私は地方自治体で行う意識改革の機会や話し合う活動を続けています。

機会の分断を無くしていきたいです。




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