現在の仕事にたどり着いた理由・篠田寛子
就職したが、26歳で失職する
生まれは愛知県ですが、一人暮らしをしたくて、大阪の大学を受験。
バブルの最後の華やかなりし頃で、就職は超売り手市場。同級生は皆大手の内定を数社もらうという時代。
少し前に男女雇用機会均等法という制度ができ、女性も総合職として男性と平等に働けるという道ができつつある頃でした。
私は、まだまだ大手での女性は大した仕事もさせてもらえないのではと考え、任せてもらう仕事が多そうな小さな食品会社へ就職しました。
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作らせてもらった自然食のお店のオープン案内[/caption]
そこでは、フードプランナーという肩書で企画営業に携わりました。自然食品のお店を作らせてもらったり、ホテルの料理長と話をさせてもらったりして、小さな組織だから任せてもらいやすいという考えは当たり、小さな部門のリーダーとして色んな経験をつめました。そこで、事務の基本などもひと通り覚えさせてもらいました。
その後、起業する知人の会社に誘われ、人事・採用コンサルティング会社へ転職。
中小企業の経営者、幹部の方々と接し、経営の中身にも触れることとなり、経営者の悩み、人をどう活かすか、組織のあり方などを日々議論、毎日終電で帰る日々でしたが、充実していました。
生涯の仕事に出会ったような気持ちになりかけた頃、
その会社が2年で解散することになってしまったのです。
やりがいを感じていただけに途方にくれました。26歳の私はいきなり無職となったのです。
カネ・コネ・計画も何も無く起業!うまくいくはずがなく・・・
就職先を探してはみたものの、これといった会社は無く、もう一度どうしたらいいか考えました。
そこではたと気が付いたのです。
私は、就職させてくれる会社(=器、環境)や、引っ張っていってくれる人物を探している。(その人の事業を手伝いたい)
しかし、そんなに簡単には見つからない。
それなら、自分が自らその引っ張っていく人物となり、自分が器を作ればいいじゃないか。
そう考えて無謀にも印刷物を制作する仕事で、個人事業として独立しました。
もちろん最初から仕事があるわけもなく、知り合いにお情けでもらうぐらい。
そんなことをしていても、利益が上がるわけもなく、
食べていくために、印刷会社、出版社などでアルバイトを掛け持ちする日々でした。
今思えば、何のビジョンも計画も持たず、行き当たりばったりのやり方に原因があるのですが、
その当時は、どうやったら仕事が来るかなあとぼんやり思っていただけだった気がします。
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1997年に女性の働き方の一つとして取材されました[/caption]
3年ほど経って、
知り合った仲間6人とグループを作り、その頃始まったインターネット事業へたまたま参画することに。
ここで印刷物を作る技術が役に立ちました。
紙に表現していたことをHPに転用しようと、本を片手にやりながら覚え、
見よう見まねで拙いHPを作っても喜んでもらえる時代だったことも幸いし、
徐々に大きな仕事が入ってくるようになりました。
上の写真はその仲間6人で一軒家を借りて仕事をしていた時代のもの。
女性の自立した働き方ということで取材を受けました。
5年ほどは、日進月歩のIT業界で、
対大企業の仕事も多く、
家に帰れないほど忙しい日々が続きます。
これが本当にやりたいことだったのかと悩み始める
その頃、ITバブルが始まり出し、HPも見た目のかっこ良さや動く映像を取り入れるといった方向に動いていきます。
お客様に会社案内のHPを作りたいと言われて打ち合わせに行くと、
「何でもいいから、カッコ良く作ってよ。」と言われることもしばしば。
コンセプトがしっかりしないものは訴求力が弱いことに気付いていましたが、
それを顧客に提案できず、お客様の声に流されて仕事をする日々でした。
私は段々疑問に思い出します。
これを続けていくと、私はどんどん本意ではない仕事に埋もれていく。
私はこれを生涯やり続けたいのか?
答えはNO!でした。
私がやりたいのはもっと違うことだと。
しかし、
折角売上が上がってきた。
業界的には、これからの成長産業。
YAHOOなどの上場も相次ぎ、IT長者が出てきた時代。
仕事はどんどん入ってきています。
それを止めて、又起業の頃の貧乏な状態に戻る勇気も無かったのです。
でも、自分がずっとやりたいなあと心から思えるような
やりがいのあることから段々ずれてきているというのも事実でした。
どうしたものかと悩んでいる時に、
知り合いの経営コンサルタントに声を掛けられ、
経営者勉強会や管理職研修などを行うコンサルタント会社のメンバーとして参加することになりました。
研修企画を策定し、その事務局をやっていく中で、中小企業の経営者や後継者の方の
共通の悩みを感じました。
事業を継続していくのに大切なことは何か?
社員を幸せにするにはどうしたらいいか?
社員の心を一つにして、組織をまとめていくにはどうしたらいいのか?
経営者の方々が孤独とプレッシャーの中でがんばっている姿、悩みなどに身近に接し、
なんでこんなに悩まないといけないんだろう。
こんなに頑張っているんだから、もっと幸せになる方法はないのかな。
もっと楽になる方法はないのかな。
私に出来ることは何だろう?
この真剣な経営者や後継者の方々の姿を見て、
私はなんて、自分のことだけに悩んでいるのだろうと恥ずかしくなりました。
組織も持たず、楽な道を歩き、
ITバブルの中にいて、楽しい思いもしたのにも関わらず、
なんだか嫌気が差している。
このままでいいわけがないな。
悩んでいる中小企業の経営者や後継者の力になれることはなんだろう?
もしかしたら、これが私のやりたい道ではないか?
私の父も小さい会社を経営していた関係で、
中小企業の苦悩とか、大変さを知らない間に感じていたからかもしれません。
義母が介護を必要に。在宅を余儀なくされる
しかし、10年前、主人の母が介護が必要となり、仕事を在宅に切り替えたため、仕事は縮小。
慣れない介護に随分苦労しました。
そこでいかに自分のモチベーションを上げるか、試行錯誤を繰り返し、精神状態を正常に保つためにどうしたらいいかを日々自問自答しました。
でもこれといった答えは見つからないまま、
介護生活にどっぷりはまった数年間を過ごします。
やっぱり人のサポートがしたい!
介護も一段落し、自分が今後何をしようと思った時に、
数年の間在宅で人とあまり接する機会がなかった私は、とにかく人と接したいと思いました。
IT業界に戻る気はありませんでした。
HPや印刷物などといった、物を作ることではなく、
介護で人からのサポートのありがたみを身にしみて感じていたので、
今度は自分が、誰か人のサポートをしたいと思い立ったのです。
以前漠然と感じていた、経営者のお役に立てることは無いかということも頭にありました。
そこで、人の話を聴くのが得意だった私は、
体系的な知識を身に付けたくて、コーチングを勉強し、
私のやりかった経営者や起業家へのサポートを始めました。
そして実は私なりのサポートができるからと教えてもらったことも力になりました。
過去の経験が全部役に立つんだと、マイコーチに教えてもらったことです。
経験に裏付けされた言葉は、それだけ力があるんだよと言ってもらったのです。
起業後の計画がこれでいいかと悩んでいる人に対して、
実際に起業してすぐには食べれなかった経験がある私が、
これなら大丈夫だよと励ます言葉には、実感がこもっている。
それは大きな強みだと言われたのです。
私は年月を無駄に過ごしてしまったと思っていました。
起業家としても中途半端、しかも介護で中断して時間が経ってしまった。
これから新しいことを始めるのは、とても不利だと思っていたのです。
しかし、過去の経験が全部役に立つのであれば、話は別です。
今までやってきたことが無駄ではない。
むしろ、
失業したこと。
転職したこと。
起業したこと。
やりがいについて悩んだこと。
介護したこと。
全部が私の血肉であって、それを持った私のコーチングは、
力強くクライアントを励まし、背中を押せるのだと気が付きました。
だから、
私らしいサポートが、今だからこそできるんだと。
クライアントがやれるかどうか迷った時、意見を求められた時、
私は経験を踏まえて、力を込めて答えることができます。
「あなたならできますよ。」と。
起業したい人や経営者のサポートに邁進中
現在、私は、
「可能性を引き出す」をモットーに、
リーダー研修や、企業内コーチングを通じて、経営者の目標達成をサポート。
そして、起業家には、やりたいことをビジネス化する、実現化するお手伝いをしています。
どちらも「その人の可能性を最大限引き出したい」という想いで共通しています。
起業家、経営者の方が輝くために、
研修、セミナー、個別相談などの手段で
サポートさせていただきます。
あなたの一番のサポーター
クレオ・コーチング 篠田寛子
銀座コーチングスクール GCS認定講師/プロフェッショナルコーチ


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